第1回 落ちこぼれて、見えてきたこと

「生きる」「二十億光年の孤独」との出会い

「谷川さんの詩を読んで大きくなった子ども」だという松本美枝子さんと「生きる」の出会い、希望を与えてくれた「二十億光年の孤独」、そして写真を始めた頃のお話など。谷川さんと松本さんの意外な共通点が明らかに……。

【谷川】
さっき、こういう珍しいものが出てきたって見せていただいたんですよね。
松本さんが小学校6年生のときに書いた、「生きる」の感想文。
小学校6年生のときに、
もうすでにこの詩が教科書に載っていたんですね。

【松本】
そう、出会っていたんです、小6のときに。

【谷川】
生徒たちが書いた感想文を、
先生がこうやって謄写版で刷ってまとめてくださったんだそうです。
松本さんはこれを読み返して、
自分がすごく「イヤな子だ、イヤな子だ」って
さっきから嘆いているんですが。

【松本】
なんか学級委員っぽいんですよ、書いてあることが。

【谷川】
すごい優等生なんです。

【松本】
いやらしいんです(笑)。

【谷川】
あんまり言うと読む気がしなくなるじゃない(笑)。
読みます。「生きる。生きるということが、
どんなに大切なのかというのがわかった。
友達が、『なんのために生きているのだろう』と言ったとき、
私もなんとなくそう思った。『いったいどうして』と。
しかしこれを読んだとき、なんと言えばいいのかわからないが、
とても生きていることがすばらしいと思った。
ひとりの人間として、生きる。いろいろな人としゃべり、
美しいものに出会い、悲しいときもうれしいときも命の大切さ、
命を与えられたことがうれしいと感じる。
すぐこの世からいなくなってしまう人や、
戦いに巻き込まれた難民、
そんな人々から比べれば、
ちっぽけな人として生まれたことが、
どんなにありがたいことか。
あんな考え方をした自分が恥ずかしい。」
……ほんとですか(笑)?
「本当に幸福なのに、もっと自分は命のありがたみ、
生きているありがたさを深く考えなくてはならないと思った。」
……三重マルですね。

【松本】
ははは(笑)

【谷川】
こういう考え方は、
今回の写真にもあらわれているんでしょうか。

【松本】
うーん、あんまり……。
谷川さんの詩は、小学校3年生くらいのときから
自分で読んでいたんですね。
それで小学校6年生のときに「生きる」を授業で習って、
中学生くらいでだんだん不良化していって、
出会ったのが「二十億光年の孤独」です。

【谷川】
へえ。それも教科書で?

【松本】
はい。中学校の教科書に「二十億光年の孤独」が載っていて、
それを読んで、なんて言うんですか……
世界って、普通に生きていけば、火星人じゃないけれど
自分と同じような考えをしている人に会えるんじゃないかな、
っていうふうに思わせてくれたんです。
小学校くらいまではちょっと優等生みたいな感じだったんですけれど、
中学校ぐらいから、だんだん勉強ができなくなってきて、
国語とか美術は好きなんだけれど、数学や理科とかは追いつけない、
みたいな感じだったんです。
「二十億光年の孤独」に会った頃から、
だんだん学校と自分がずれ始めたなという感覚がありました。

【谷川】
そういう共通点があったから、
もしかすると合ったのかも(笑)。
僕も全然駄目だったんですよね、
中2くらいから。数学とかそういうのが。

【松本】
私もまさに中2くらいから! 
何でもかんでも出来る子どもじゃないっていうのは
自分でもうすうすわかってきていたので、
この「二十億光年の孤独」という詩を読んだときに、
何かひとつだけできれば、
もしこのまま自分が“できない子ども”になっちゃっても、
どっかで火星人が出てくるんじゃないか、
自分も火星人みたいな感じで誰かが見つけてくれるかもしれないし、
自分もこのくしゃみしている火星人、
要するに自分を理解してくれる人を見つけられるかもしれない、
って思ったんです。

【谷川】
……なんかすごく優等生的に感想言ってません?
そんなに影響を与えたなんて信じられませんよ(笑)。

【松本】
でもほんとにそうなんですよ(笑)。
谷川さんの詩には、子どもの頃からすごく影響を受けてきました。

インタビュー風景
(c)佐藤理絵


写真で身を立てようなんて、思えなかった

【谷川】
写真を始めたのはいつ頃ですか。

【松本】
写真は、中学生のときには
オリンパスのOM1というカメラで撮っていました。
その頃はまだ、修学旅行のときなんかに、
わざわざそのOM1を持って撮ったりしていたくらいですね。

【谷川】
僕もOM1って使っていたんですよ!
でも、中学生でOM1みたいな一眼レフを持っているのって、
ちょっと珍しいですよね。

【松本】
そうそう、珍しかったです。
普通にコンパクトカメラでもいっぱい撮っていましたけど、
まだその頃は旅行先でとか、自分のペットを撮るくらいでした。
高校のときは一応受験生だったので、
あんまり撮りませんでしたけれど。

【谷川】
そのときはまだ「自分は写真で身を立てるんだ」
みたいな意識はなくて、ただ撮っていたの?

【松本】
全然そういう意識はなかったですね。大学に入ってから
また写真を再開したんですけれども、
そのときも写真で身を立てるなんて、思えなかった。
ずっとあとですね、25歳を過ぎてから。

【谷川】
それまで何してたんですか?

【松本】
ギャラリーで展覧会を企画したりしていました。
心の中ではどこかで写真家になりたかったんですけれども、
「なれない」ってもう、思い込んでいたんですね。
全然カメラの勉強もしていなかったから。
でも、ギャラリーでいろいろな作家さんたちがやっているのを
見ているうちに、「自分もできるかなあ」と思って。
それで25歳くらいから、仕事をしながら雑誌などに
作品を出したりするようになりました。

【谷川】
雑誌に作品を出したりするのって、そんなに簡単にできるんですか?

【松本】
先に個展をやっちゃったんです。
飯沢耕太郎さんに「やっちゃえ、やっちゃえ」って言われて。

【谷川】
飯沢さんとはどうやって知り合ったの?

【松本】
ワークショップでちょっと写真を見てもらったりしていたんです。
習うというより、自分で勝手に撮ったものを並べて、
見てもらうという感じだったんですけれども。
飯沢さんに「下手でもなんでも個展やってみなよ」って言われて
茨城のつくばで個展をやったら、なぜかたまたま、
SWICHの編集長の新井敏記さんがつくばに来て見てくれて。
ノートに名前が書いてあったんですよ、
「SWITCH編集長 新井敏記」って。
「つくばにいるわけないもんね~、
ニセモノかも」って言っていたんですけれども、
2日後電話がかかってきて、
「6ページあげるから、好きなの撮っていいよ」って言われて。

【谷川】
なんか、シンデレラ・ガールみたいじゃん!(笑)。

【松本】
ははは(笑)

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Profile


谷川俊太郎
(たにかわ・しゅんたろう)
詩人。1931年東京生まれ。詩作のほか、戯曲、テレビアニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞、映画脚本、絵本・童話の創作、翻訳など、さまざまな分野で活躍している。詩集『日々の地図』で読売文学賞、翻訳『マザーグースのうた』で日本翻訳文化賞を受賞。著書多数。

松本美枝子
(まつもと・みえこ)
写真家。1974年茨城生まれ。主な受賞に写真「ひとつぼ展」入選、第6回新風舎平間至写真賞大賞受賞など。雑誌などで撮影のほか、「生死・日常・遺伝」をテーマに作品発表を続けている。個展多数開催。著書に『生あたたかい言葉で』。パブリック・コレクション:清里フォトアートミュージアム。
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