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文月悠光 『わたしたちの猫』

   空の合図

 

 

 

ささげるほどの身もなくて、

頭上の空だってあげたい。

なんでも君に渡してやりたい。

たとえば、あてつけのような快晴を君へ。

雨風をしのげるふたりじゃないものね。

雲を吹き消すため、

こっそりと頬ふくらませている。

 

君の手首を握って確認すべきことが

脈拍のほかにあるのだろうか。

生存確認は陽の沈んだ後が肝心。

夜には眠りをあつらえて

君の隣へすべり入る。

手探り、手を焼く、手当てする――。

君を求めて、この手はせっせと動き出す。

いとしい君には 少しだけ

私より子どもでいてほしいのです。

 

すべてをそのからだに包んでいながら、

「隠すつもりはない」だなんて、嘘が下手だね。

私は繋いでいた手を投げやって

厚い雲を呼びよせた、

ほんとうのことが見えてしまわぬように。

私が君を守りきるために。

すると君は

やわらかな手袋をくれる。

左手から片方だけをはずして

私にそっとあずけてきた。

裸の手のひらは、白い吐息を受けて

徐々に赤らんでいった。

 

苦しそうに耳をさらして、

君はでも強くなろうとしている。

そんなすばらしい鉱石の目をして

空の合図を見届けている。

雨が降ったら迎えに行くよ。

傘は君に持ってもらおう。

「空の合図」 文月悠光